一つの扉の前に、6人の少年少女は立っていた。その扉に貼られた紙に書かれた文字は『進路指導室』の5文字。その紙をまじまじと見つめながら、一人の少年が口を開く。
「多分、これで最後だ。いいか?ここにいる6人・・・全員が生還するんだからな!」
秀也と呼ばれるその少年が、残りの5人に言い聞かせるように言った。聡奈、徹、哲志、瑠美、絵理の5人だ。数々の苦難を乗り越え、ついに残した部屋はこの一つだけになったのだ。自然と高まる緊張感、威圧感をよそに、哲志は黙ってズボンのポケットに手を突っ込む。取り出したのは、古ぼけたメガネ。アクビをしながらそのメガネをかける。一度目を閉じ、何かを祈るような感じで天を仰いだ。やがて正面を向いた時、その少年の瞳は変わっていた。鋭く研ぎ澄まされたその視線には、獲物を捕らえようとする肉食獣の視線と似たところがある。そう、哲志にはもう一つの『人格』があった。彼の名は『恭介』。哲志の中で眠っていた、もう一つの人格。否、眠っていたのではない。封印されていたのだ。狂暴でいて、不安定な精神を持つ正確であったために。しかし今ではすっかり回復し、意思疎通をはかるまでになっていた。また幾度となく、危機から救ってきたのも彼だ。そして今、その『恭介』が再び必要となった場面。きっと、今から入る部屋の中には10人前後の敵がいるに違いない・・・そう考えたのは哲志だけではない。その場にいる者のほとんどが思っていたことである。
「絶対、帰れる・・・よね?」
瑠美が不安そうな表情を浮かべて言った。
「大丈夫。帰れるさ」
横に立つ徹が手に持つ銃、ワルサーMPLをみつめながら言った。そう、これで全てが終わる。また、いつもの―――とまではいかなくとも、ここよりは大分まともな生活ができる場所には帰れるのだ。正常な社会復帰は望めないかもしれない。警察に出会ったら逮捕されるかもしれない。凶悪犯として手配された秀也の場合は、公開処刑にならないとも言い切れない。
「じゃぁ、行くぞ」
秀也がつぶやくように言いながらドアノブをひねる。鉄板で加工されたそのずっしりとした扉は抵抗も、音もなく開いた。正面には何もいなかった。しかし、ドアで隠れた向こう側―――教卓とか黒板とかが設置されているであろうところからはチャキ、という金属音とともに、人の気配が伝わってくる。それにいち早く気づいたのは徹だった。転がるようにして教室内に飛び込み、ワルサーMPLの引き金をしぼる。続いて、聡奈がチャラチャラと手首に巻かれたワイヤーを鳴らしながら飛び込んだ。左右に転がりながら銃を撃つ徹と、ステップを刻みながら次々とワイヤーを飛ばす聡奈。幾つもの炸裂音が鳴り響いては聞こえてくる悲鳴、うめき声。それに混ざって徹の雄たけびも聞こえてきた。転がるのをやめ、左右に走ったりして弾を回避していた徹の動きが止まった。その手に持つワルサーも火を噴くのをやめた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ・・・秀也、終わったよ」
口の端をつり上げながら徹が言った。それを見て、全員が部屋に入る。血に染まった床の上に転がっていた兵士の亡骸は6体。何かがおかしい。兵が少ないような気もするし、ロードを名乗る男さえも見当たらない。
「クッ・・・痛ぅ・・・」
徹がうめく。その左腕とわき腹からはおびただしい量の血が流れていた。右手でわき腹を押さえたまま座り込む。
「徹くん!」
絵理が叫ぶようにいいながら駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫!?」
絵理が徹の顔を覗き込みながら言う。徹は屈託のない笑顔を浮かべながら言った。
「ハハ・・・ちょっと辛いかも」
額には脂汗が浮き上がっている。早く治療しないと出血多量で死に至る可能性もある。それは怪我をした本人、徹が一番よくわかっていた。
『キ・・・ダ、・・・・ロ』
ふと、懐かしい声が頭の中に響きわたった。自分に危険を教えてくれる、もう一人の―――自分の中に存在するもう一人の自分からのメッセージ。その声は、こう言っていた―――『危険だ!伏せろ!』。その声が響いたのと同時に徹が顔を恭介に向けると、恭介も徹と同じ声が聞こえたのだろうか、驚いたような表情を浮かべて徹をみていた。
「伏せろぉぉぉ!」
恭介と徹が同時に叫ぶ。徹は隣りにいた絵理を抱え込んだまま跳び、その場を離れるようにして地面に伏せた。恭介も瑠美を抱え、徹と同じようにして跳ぶ。秀也と聡奈はお互いに確認するように顔を一瞬見合わせ、受身を取るように転がった。転がったと同時に轟音が鳴り響く。徹たちの立っていたところの天井が粉々に砕け、コンクリートの破片や、中に入っていた鉄筋が鉄くずのようになって飛び散る。見ると、天井のその部分には大きな穴があいていた。人二人ぐらいまでなら、ゆうゆうと通れるほどの穴が。その穴からさらにコンクリートの破片がぱらぱらと崩れ落ちたかと思うと、一人の男が飛び降りてきた。
「運のいいやつらだな・・・いや、運がいいんじゃない。俺の攻撃が予知できたんだな?恭介。そして―――紫音」
「な・・・にぃ!?」
徹と恭介がうめく。秀也、聡奈、瑠美、絵理も唖然としている。ありえない光景だった。
ぼろぼろに使い古されたジーパンをはき、長い真っ黒のTシャツを着た男。そのTシャツには白くかすれた文字で『Are You Ready?』と書かれていた。長くのびた真っ黒い髪。狂気を帯びた左目の視線。右目は眼帯で覆われ、その右腕にはH&K MP5 A3(ヘッケラー&コックMP5A3)―――サブマシンガンが握られていた。そのMP5 A3は有名な軍隊、SWAT特殊部隊が採用するまでに最高の命中精度を誇る、サブマシンガンの中でも最高傑作と呼ぶにふさわしいほどの銃である。その男が左目をふっと細めながら6人を見渡す。全員を見渡したかというころ、男は口を開いた。
「決着をつけにきたぞ―――弟たちよ」
徹たち6人の前に姿をあらわしたのは、紛れもなく徹が殺した男・・・西山伸二だった。驚いたような視線を向ける徹と目が合った伸二は、ニィっと笑って見せた。
「ククク・・・どうかしたのか?」
「なん・・・で・・・!?」
言葉にできないでいる徹を見て伸二が笑う。伸二の言った言葉の直後、徹はうめいた。馬鹿な・・・アイツは確かにこの手で殺したはず!相違点といえば・・・髪の色が違うということだけだ。―――髪の色!?
「まさか――――!?」
下をうつむき、何かを考えていた恭介がはっと気づいたように顔をあげた。
「気づいたか?お前らが倒したのは俺であって俺じゃない。そう・・・お前らが必死こいて戦っていたのは俺のクローン」
強気に笑いながら伸二が言った。強気に笑っていたその目が一瞬鋭くなり、さらに続ける。
「結果的に死んだようだが・・・右目に埋め込んであった盗聴器のおかげで紫音の存在の確認ができただけでも良しとするか」
伸二が徹に視線を徹に落とす。そんな伸二を徹は睨みつけていた。
「―――!?」
突然放たれた2本のナイフ。そのナイフは伸二の左肩に根元までしっかりと食い込んだ。血がにじみ出て、黒い服をわずかに変色させる。
「・・・おしゃべりも・・・そこまでだ」
秀也が伸二を睨みながら言った。伸二がニィと笑い、走り出す。1メートルほど秀也との距離が縮まった時、秀也はとっさに転がった。と、同時に伸二のもつMP5A3が火を噴く。床に無数の穴をあけながらその弾丸は秀也の左腕を貫いた。ヒジより少し下のところから血が噴出している。・・・致命傷だ。これで両腕が思うように動かない。つまり、ナイフが上手く投げれないのだ。応急処置をとるだけで大分楽になると思うのだが、今そんなことをしていては本当に殺される。チッと秀也は舌打ちしてさらに転がった。MP5A3もそれを応用に火を噴く・・・が、MP5A3は秀也を狙ってはいなかった。秀也のすぐ近くにいた、聡奈を狙っていたのだ。聡奈も転がって回避しようとしたが、すでに遅かった。転がっている途中で体を無数の銃弾が貫く。銃弾のいくつかが肺を射抜いたらしく、信じられないほどの量の血を、聡奈は口から流していた。ピクリとも動かない。すでに聡奈は絶命していた。
「う・・・うおォォォォォ!」
絶叫しながら徹は走り出す。同時にワルサーを握る手を突き出し、引き金をしぼる。しかし軽くステップを刻むだけで伸二はそれを回避した。カウンターに、伸二は徹の腹に蹴りを叩き込む。ギリ、と歯を食いしばり徹はそれに絶えようとした。呼吸がし辛くなり、吐き気もする。しかし―――徹の口元には笑みが浮かんだ。
「ウグゥ・・・」
徹の次にうめいたのは伸二だった。ひざまずいた伸二の後ろに立っていたのは恭介。その手に握られたトンファーから、少量の血が滴っていた。
「―――オマエを―――殺ス」
正気を失ったような恭介の目に浮かんでいたのは狂気の笑み。クローンとの戦いでは現われなかった恭介の感情。そう、クローンと戦っていたとき、きっと恭介は心のどこかで気づいていたのだ。今戦っている相手は偽者で、本物の伸二はどこか別の場所にいるのだと。本物を目の前にした時の自分の中に浮かんでくる闘気は明らかに異質の物である。嫉妬――恨み――憎しみといった負の感情がいくつも混ざったような表情。まるで恭介は今、昔の光景を思い出しているようであった。可愛がられることのなかった恭介の目の前で、研究者たちから溺愛されていた伸二をじっと見ていた時の事・・・また、自分という性格を封印した事に対しての恨み。恭介の瞳からは、そういうものだけが感じ取れる。伸二の笑み以上に、狂気を感じさせる瞳だ。
「殺す・・・?ハッ!雑魚が!」
鼻で笑いながら恭介が蹴りを放つ。その蹴りを恭介はトンファーで受け止めた。見た目よりもずっと重たい蹴りだ。ガードしたはずなのに勢いは殺せなかったらしく、恭介は少し後ずさった。
「・・・クローン化すると、髪の色素だけでなく筋力もわずかながら衰えるらしい。俺をクローンなんかと一緒にするなよ?俺は―――いや、俺が・・・オリジナルだ」
ゆっくりと腕を持ち上げ、MP5A3を恭介に向ける。と、一度だけ乾いた銃声が室内に響いたかと思うと、伸二の持っていたMP5A3が弾き飛ばされた。絵理の持っていた銃、コルト・ダブルイーグルの銃口から細い煙がなびいていた。
「クローンとかオリジナルとか・・・知らないよ!あなたたちは私たちの大切な仲間を奪った!」
もう一度、乾いた銃声が響く。それはここへ来る前に徹が瑠美に渡しておいた銃・・・H&K−USPの発した銃声。その銃から吐き出された銃弾は伸二の足元の床に、小さな穴をあけた。
「つまり・・・あんたは私たちの敵!それ以外、何者でもないわ!」
瑠美が叫ぶ。銃を握る手や、肩幅に開いたその足は震えていたが、その目には強い意志が宿っているように見える。その目を見て、伸二は少しひるんだように表情を歪ませた。中腰のまま、室内を見渡す。
「・・・終わりだよ、あんた。人は独りじゃ生きられない・・・独りで生きようとするあんたは、俺たちには勝てないよ」
わき腹を抑えたまま徹が伸二の近くに歩み寄った。伸二は無表情に地面を見つめている。が、横目で徹を睨みながらゆっくりと立ち上がり、手を背後に回すと腰の辺りからナイフを両手に一本ずつ取り出した。口元だけで笑みをうかべながら、その両手でナイフをもてあそんでいる。・・・伸二はまだ諦めていない。徹だけでなく、その場にいた人間ほぼ全員が感じた事。徹は鋭い視線を向ける伸二を睨み返し、口を開こうとした。と、その時―――するどい痛みが左腕を襲った。左手の甲には細いナイフが痛々しく突き刺さっている。何が起こったのか分からなかったがワルサーMPLからは手を離さないで、そのナイフを右手で抜いた。苦痛に顔をゆがめながら頭を上げると、伸二の持っていたナイフが2本から1本になっていた。その伸二のところに残っているナイフは、今自分が握っているナイフとまったく同じ。コレといって装飾されていない、ほっそりとしたナイフ。それを確認して、伸二が自分に向かってナイフを投げていたことに気がついた。ノーモーションからの攻撃だったためにそれに気がつかなかったのだ。
「違うな。俺は―――生き残る」
つぶやきながら笑う。その伸二を睨みつけながら恭介がクルクルとトンファーを数回回すと、再びしっかりと握り締めた。
「秀也、二人を廊下へ。これは・・・俺たち三人の問題だ」
「な・・・あぁ、わかった」
恭介に言われたことに不満そうだったが、今戦えない自分がいては足手纏いだと思ったのだろう。納得のいかないような表情をうかべていたが、しぶしぶ瑠美と絵理を廊下へと促し、自分も廊下へ向かう。その途中、一瞬足を止めて秀也は聡奈をチラリと見た。今や聡奈の体は血に染まり、もう、動く事はない。それを確信し、目を閉じたまま廊下へと出る。ドアを閉める音がやけに高く鳴り響いた気がした。3人が廊下へと出て行ったのを伸二が眺め、ゆっくりと口を開いた。
「・・・コレで邪魔は入らない。もしあのまま部屋にいたら殺そうかと思ったが―――!?」
言葉を続けようとした伸二の動きが止まる。―――徹が笑っているような気がしたのだ。そしてそれは間違いではかった。下をうつむき、肩をふるわせ、声をかみ殺して笑っている。
「とお・・・る?」
恭介は徹の笑っている理由がわからず、首をかしげながら徹の名を口ずさむ。
「そうか、今は『西島徹』とかいう名前だったな」
恭介のつぶやいたのが聞こえたらしく、その名を聞いて伸二も思い出したかのようにつぶやいた。
「クッ・・・ハッ!ハハハハハハ!」
二人の呟きを聞いた徹は、突然大声をあげて笑い出した。伸二達には今までに見せていない表情。笑い方。徹は腹をかかえてひぃひぃ言いながらまだ笑っている。
「ハッハッハッハッハ・・・フゥ、フゥゥ、最ッ高だな、お前らは」
徹が伸二をみつめるようにまじまじと見ながら言った。
「貴様は・・・西島徹じゃないな?」
その徹の視線を返すように、殺気立てた眼で睨みつけた。
「あぁ。俺は徹じゃねぇ。徹だったら・・・行っちまったぜ。んで、俺が代わりにここにいるってわけよ」
口の端をつぎあげ、獰猛に笑いながらかつて『徹』であった少年が口を開いた。出血は止まっていなかったが、普通に動かす分には支障はないのだろうか。ナイフの刺さっていた左手の人差し指で頭をトントンと叩いている。どうやら、「行っちまった」というのは、人格が入れ替わったことを指しているらしい。不敵な笑みを浮かべたまま、その少年はさらに言葉を続けた。
「伸二、お前が待っていたのは俺だろう?そうだ・・・俺が徹の中に眠るもう一つの『人格』―――本物の西山紫音だ!」



佐紀聡奈(カタストロフィ) 【残り4人+2人】

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