「あ、光君、こっちにもあったよ」
満面の笑みを浮かべた由美が、大量の釣り糸を抱えて来た。光の横にしゃがみこむと、光にその糸を差し出す。光は釣り糸を結んでいた手を止め、その糸を受け取った。
「お、この糸は・・・」
絡まりあう釣り糸の中から一本の糸を器用に抜き取る。今までに見つけていた糸とはどこかが違う。透明ではなく、どちらかというと・・・黒い。極細の鉄製の糸が幾本も束ねられたワイヤーのような糸。本来、鋭い歯を持つ魚を釣るために使用する糸だ。
「いいもん見つけたな〜。もっとなかったか?この糸は使えるぞ」
隣りにしゃがみこんだ由美の頭をなでるようにぽんぽんと軽く叩くと、由美はまるで飼い始めたばかりの子猫のように無邪気に微笑んだ。
「わかんない。ちょっと探してみるね」
それだけ言うと、由美は漁協の奥へと戻っていった。光も元の作業に戻る。糸の先に次々と釣り針を結ぶと、その釣り針のついた糸を、漁用の網に結び付けていく。この網にかかった者がもがいたら釣り針が身を引き裂く簡易的なトラップだ。そのトラップをもう5つほど作っていた。そろそろ即攻性のあるトラップを作らないと・・・。
「よっ・・・と。ふぅぅ・・・重かったぁ・・・」
由美が黒みがかった釣り糸を大量に持ってきた。
「おっ、結構あるんだな・・・じゃ、一本一本をきれいに伸ばして、すぐに使えるようにするか」
「あ、じゃ、私もやるぅ。たくさんあるから大変でしょ?」
「んー・・・じゃ、頼もうかな。手切らないように注意してくれよ」
「了〜解」
右手で敬礼の格好をしながら由美が微笑む。光も微笑み返してから釣り糸をそっと伸ばし始める。糸が黒いので、夜に木々の間に結びつければ全くといっていいほど見えないだろう。相手がその張り詰めた極細ワイヤーに飛び込めば、それだけで十分なほどに殺傷能力がある。細い指で一生懸命釣り糸を伸ばしている由美が、つぶやくように言った。
「でも、やっぱり・・・糸と針だけじゃ限界あるかなぁ?」
男にとって二つの行動を同時にするのは、いささか難があるのだろうか。二つの行動を同時にしたらどうも両方ともが中途半端になってしまう。そのため、光は一旦手を止めてから返事をした。
「・・・まぁな。けど、足止めするには十分だろ。相手がひるんだ所に一撃を入れれば・・・楽に勝てるだろうし」
その答えを聞いて、由美はわずかに表情をくもらせた。もしも・・・大勢の敵が一度に来たら?一人一人戦っている場合ではない。やはり、すこし辛いものがある。
「・・・私、町までちょっと行ってくるよ」
由美がポツリとつぶやいた。釣り糸をその場に置くと立ち上がり、近くに放っておいた刀をつかんで、腰にさす。
「なっ・・・危険だよ!もし町に誰かいたら・・・」
半ば怒鳴るようにして反対する。立ち上がり、由美の目の前まで跳ぶようにして移動する。
「・・・それだけじゃない。町に着くまでに誰かに会って攻撃でもされたら・・・」
目を伏せながら光が続ける。そんな光を見て由美は小さく首を振った。
「いいの。私だって戦える。それに私はこんな時にしか役に立たないでしょう?」
「カタストロフィとかいう奴らとか・・・最近入ってきたやつでも会ったらどうす・・・!」
言葉を続けようとした光は、何も話せなくなってしまった。由美が唇を、光の唇に重ねていたからだ。よく小説などで『レモンのような・・・』などと書いてあるが、そんな味はしなかった。何の味もしなかったが・・・自分の身体が変に火照っているのだけは確かだった。ゆっくりと由美が離れて、光に微笑む。
「大丈夫。絶対戻ってくるから・・・安心してトラップ作っててよ」
「・・・絶対だからな。絶対帰ってこいよ」
下を向いたまま光が低く、うめくように言った。
「もちろん。・・・それじゃ」
タッタッタ・・・という遠ざかって行く由美の足音をしばらく聞いてから、光はその場に座り込んだ。ボーっとしたまま一番近くにあった釣り糸をつまみ、クルクルと丸まったその釣り糸をゆっくりと伸ばす。伸ばし終えると、次の釣り糸をつまみ、同じように伸ばす。「・・・ダメだ。集中できない・・・」
誰に言うともなくつぶやき、目を閉じる。左手で自分の唇に触れると、ドクン、ドクンと脈打っているのを感じた。
「・・・クソ!何やってんだ俺は・・・」
勢いよく立ち上がり、ナタとデザート・イーグル、投網トラップを拾い上げる。デザート・イーグルをズボンに押し込み、ナタを右手に、左手に投網を持つと漁協の入り口へと向き直り、一気に駆け出す。
「待ってろ・・・待ってろよ由美。今行くから・・・」
嫌な予感がした。とてつもなく嫌な予感が・・・。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・」
呼吸が乱れ、一度足を止める。膝に手をついて少し休むと、由美はゆっくりと歩き出した。漁協から出て右を向き、一気に走ってきたのだ。生い茂っていた木々が減ってきたところを見ると、F―2の中部に、そろそろさしかかるのではないだろうか。しばらく歩いてから、再び走り出す。絶対に生きて漁協に戻る。光と約束したのだ。誰にも会うわけにはいかない。相手が銃だった場合接近武器の自分は、不利になってしまう。そもそも、男よりも運動能力が劣っているために、すでに少し不利なのだが。相手が女であれば・・・まだ何とかなるかもしれない。
「暑っつぅ・・・夜はあんなに寒かったのに・・・なんで昼は暑いのよ!?」
愚痴りながら足を止める。そしてまた歩き出す。乳酸が溜まってきているのだろうか、ふくらはぎと太ももが痛い。
ガササッ
突然前方の草むらが揺れた。ピタ、と足を止め、刀を抜き放つ。たとえ相手が誰だろうと、先制攻撃を入れねばならない。
「・・・え?」
揺れていた草むらとは少し違う場所から、その影は現われた。低く腰をかがめ、ギラギラと眼を光らせ、こちらの様子をうかがっている。血が乾いたような茶色っぽいものが口の周りにべっとりと張り付き、虚ろにこちらを睨みつけているその視線には、禍々しい殺気を感じる。
「何・・・?誰?あんた・・・」
「グゥゥオォォォォォォ」
ハンニャの面をかぶった男が、一度だけ咆哮する。その両手にはナイフと包丁が握られていた。ともに、真っ赤に染まっている。
「は、早っ・・・!?」
由美の方へと跳躍するように走り出し、左手に握っているナイフを突き出す。そのナイフを刀の腹の部分で受け止めて、一歩後退する。
「何なのよ!?もう・・・いやぁぁぁぁ!」
目を閉じて絶叫しながら刀を大きく振りかざし、叩きつけるようにして振り下ろす。その刀は虚しく空を切り、地面に激突する。直後に、首に、チクっと針でさされたような痛みが走ったような気がした。ゆっくりと目を開くと、網の中でもがいているハンニャがいた。後を振り向くと、そこには光がいた。
「っふぅ・・・ギリギリか。間に合ったか。やっぱきて正解だったな」
「光君・・・」
肩で息をしながら光が微笑む。額から汗が伝っていた。由美が涙を浮かべ、光のほうへと歩み寄る。光も、由美の方へとゆっくりと近づいた。突如、歩いていた由美が、がくりと膝をつき、虚しく転倒する。
「あ・・・え?なっ・・・」
わけがわからなかった。今、自分の目の前で起こったこと、そのものが理解できなかった。由美が倒れた先に居たのは・・・ハンニャ。制服がズタズタに破れ、右手に刀を、左手にナイフを持った、ハンニャ。由美の背中には包丁が突き刺さっていた。
「バカな・・・由美・・・おい、嘘だろぉ・・・」
しゃがみこんで由美を抱きかかえ、仰向けにする。わずかに体温は残っていたが、赤く、柔らかだった唇は血の気を失いつつあった。
「由美・・・何か言ってくれよ。なぁ・・・」
由美の口から一筋の血が流れ落ちる。同時に、由美がゆっくりと、力なくまぶたを開いた。
「ゴメ・・・ン・・ネ。光君・・・」
「由美・・・死ぬな!絶対あそこまで戻るって約束しただろ!?」
「ウン・・・ケド、ダメみたい・・・アハハ・・・せっかく光君と友達になれたのに・・・」
「・・・・・」
言葉にならなかった。必死にしゃべろうとする由美を見るのも辛かった。
「俺・・・俺さ、お前のこと好きになったのに・・・」
「私も・・・。良かった・・・両想いで・・・ゴメンネ・・・私・・・先に逝くわ」
それだけ口にすると、由美はゆっくりとまぶたを閉じた。血の気を失った由美の唇に、そっと自分の唇を重ねる。今度のキスは、血の味がした。ゆっくりと由美を横たえると、短く冥福を祈った。光がゆっくりと顔を上げると、ハンニャは何をするともなくこちらを眺めていた。
「グフ・・・グハハ・・・違ウ違ウ・・・違ヴゥゥゥゥ!!」
ハンニャが咆哮に似た叫びをあげる。勢いよく走り出し、刀を振り下ろす。光はその刀をナタで受け止め、ゆっくりと立ち上がった。その異様な空気に気圧され、ハンニャが一旦跳びのく。冷静だった。自分でも驚くほどに。怒りで我を忘れていてもおかしくない状況の中、相手の攻撃を的確に処理できた。今の自分は、このゲームが始まった時とは違う。決して、一人ではない。『由美』という理解者が居てくれた。そして、その『理解者』を亡き者にしたのはまぎれもなく、目の前に居るハンニャだ。それを整理し直すと、光はハンニャを睨みつけた。
「テメェだけは許さねぇ・・・絶対ぇぶっ殺す!!」
光が囁くように小さく言った。左手でデザート・イーグルを抜き、2回引き金を引く。森の中に響き渡る銃声が、鼓膜にびりびりと伝わってきた。ハンニャはその弾丸を身をかがめて回避し、光との距離を一気に縮めた。
「グゥゥオォォォォォォォォォ」
「くっそぉぉぉぉぉ!」
下方から繰り出される一太刀をナタを盾のようにして受け止める。地面に突き立てたナタの先が地面にめり込み、光をしっかりと護る。ギィィンという金属音が鳴り、右手にわずかな衝撃を受けた。再びデザート・イーグルをハンニャに向けて構え、1度だけ引き金を引く。今度は左手のヒジから手首にかけての位置に命中し、鮮血が飛ぶ。
「おぉぉぉぉぉぉぉ!」
何度引き金を引いたのか分からない。とにかくハンニャに向けて発砲した。デザート・イーグルがガチン、ガチンと虚しい音を立てる。・・・弾切れだ。ハンニャはどこに弾が当たったのかはわからなかったが、気がつくと目の前に力なく倒れていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・」
デザート・イーグルをその場に落とすと、ゆっくりと膝をつき、地面に突き立ててあるナタに体重を乗せる。
「由美・・・やったぞ・・・仇は・・・討った」
下を向いて口元だけで笑みを浮かべる。まぶたを閉じると、これまでの疲労が一気に光の身体を襲った。
「・・・しばらくは動けねぇなぁ。ハハ・・・足つりそう・・・」
光が小さくつぶやく。ゆっくりとまぶたを開けると、目の前に地面があった。何か変だ。ナタにもたれていたとはいえ、近すぎる。俺は・・・地面に伏せているのか?体を横に倒し、目だけで上を見る。そこにはハンニャが立っていた。肩や腹からおびただしい量の血を流し、こちらを見下している。このとき初めて自分の胸に刀がつきたてられているのに気がついた。
「ナ・・・ニィ!?」
顔を歪めてうめく。ばかな・・・俺は・・・負けたのか・・・?身体が一瞬浮いたかと思うと、刀が胸から抜かれ、見たこともない量の血が吹き上げる。それを見た直後、光は絶命した。左手に持っていたナイフを捨て、光が右手に握っていたナタを奪い取る。
「グフフフフ・・・・フフ・・・チガウチガウ・・・」
ハンニャはつぶやくように言うと、ゆっくりと歩き出した。面の下の眼は白目を向き、牙の下の口からは多量の血を流していたが、笑みは絶やしていなかった。右手に刀、左手にナタを持ったハンニャはどこへ行くともなくその場を去った。ハンニャの傷口からは、もう血は流れおらず、ぽっかりとあいた傷が差し込む日の光に照らされていた。



弓木光(男子17番)死亡【残り6人+6人】

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