「はぁ、はぁ、はぁ」
決して広くはないが、それでもやはり身を隠すところのない道路。その道路を走って横断する少女が一人・・・矢口恵(女子12番)だ。草むらに転がり込んであたりが安全である事を確認すると、デイバッグから地図を取り出す。現在地はI―5。額を伝う汗を左手の裾で拭いながらそのまま左手首の時計に目配せする。銀色に縁取られ、白い板の上に黒い長針、短針、秒針が並ぶ、これといった特徴のない時計は、11:00をさしていた。長い間E―8の神社に隠れてはいたのは正解だった。ほぼ死を覚悟していたが、今度入ってきた西山伸二とかいう男が首輪の効果をなくしてくれたからだ。このまま漁協につければ何とか船を使って逃げられるかもしれない。操縦なんかは出来ないけどきっと何とかなる。いや、何とかしてみせる。私は絶対生きのびるのだ。頭を草むらから出し、あたりの様子をうかがい、誰もいないことを確認してからまた走り出す。荷物は護身用に持っている少し大きめの・・・いびつに曲がったナイフを一本と地図。地図はポケットに押し込み、ナイフは右手に持ったままで、とにかく走る。走る。船のあるところまで。漁協だか港だか知らないけど、走る。そこまで行けば救われるのだ。そう、自分は死ななくて済む。だから・・・走る。
「あぅ・・・」
足がもつれ、無様に転倒する。ひどい衝撃が体を襲ったがナイフは離さなかった。左手でガクガクと振るえる足に手をつき、少し休む。道路の脇、下手したらクラスメイトに見つかるかもしれないが、それどころではなかった。ひどく足が震えている。普段から運動していなかったからだろう。その格好を維持しているうちに足のいたるところに乳酸が溜まり、ツった時のような痛みが走る。左手で左足の太ももをグっと握り、その痛みを和らげようとするが全く効果はなかった。それどころか、時間の経過につれて痛みはひどくなっているようだ。
「ど、どこかで休まないと・・・うぅ・・・」
痛みのあまり小さくうめく。こんなに走ったのはいつ以来だろう?半ば足を引きずるような感じですぐ隣りの草むらへ移動し、すぐさま倒れこむ。できるだけ痛みのことを気にかけないようにしながらポケットから地図を取り出し、再び現在地を確認する。分校が自分から見て右斜め前の方向に小さく見え、自分の後には青々とした草、木が生い茂っている。そのことから現在地はI―4だろうと推測する。大分、近くまで来た。もう少しだ。
「よし・・・そろそろ・・・行こうかな。お願い、私の足がんばって」
自分を励ましながら両足をポンポンと叩く。にわかにふらつきながら草むらから出ると、そこにはさっきまではなかったはずの物が存在していた。腰をかがめ、右手には一般的な包丁を持ち、不気味な面をかぶった男。世間一般ではこの面の事をハンニャというのだろうか。そしてこのハンニャの面をかぶった男は、まるで私が草むらから出てくるのを待っていたかのようにじっと睨みつけていた。
「あ・・・え?志郎君!?志郎君なんでしょう?」
ハンニャの正体に気づき、声をかえたが相手は沈黙を続けていた。その沈黙が異様に不気味さを増させ、『逃げたい』という衝動を駆り立てる。
「志郎君・・・違うの?答えてよ!ねぇ?」
「グフぅ・・・クヒ・・・クヒヒ・・・チガ・・・チガウ・・・チガウノ?」
自分は、目の前に立つハンニャの面をかぶった男が志郎だと確信していた。確信していたのだが・・・この声は聞いた事がない。かすれるような・・・しかし、ハッキリした発音。低くく、うなるような声。私の言った事を真似る様に『チガウ』という言葉を繰り返している。
「チガチガ・・・・チガウ・・・チガウノォォォォォォォォ」
突如、右手に持った包丁を振りかざし、恵に襲いかかる。素早い一撃だったが、直線的な動きで、とても単純な起動を描いた攻撃。そのまま地面を叩くように包丁を突き立てる。その一撃を右側にそれる事でかろうじて回避した。単純とはいえ・・・恐ろしいスピード。次はおそらくかわせない。
「やめてよ・・・もう・・・私は戦いたくないのに・・・」
涙で目がかすむ。しかしハンニャは容赦しなかった。地面から包丁を引き抜くと同時に恵の腹に痛烈な蹴りが入る。ノーモーション、さらには体重が乗っていない攻撃。しかし、反則的なダメージ。これはもはや人間の力じゃない。
「ふ・・・う・・・・」
あばら骨がみしみしときしみ、後方にふっ飛ばされ、仰向けに倒れる。苦しい。もろに受けてしまったために横隔膜が麻痺し、呼吸が困難になっているのだ。うめきながら、ハンニャを見ると左手にナイフが握られていた。どこかで見たことのあるナイフ・・・。
「なっ・・・」
しまった、と思った時はもう遅い。蹴られた時にナイフを手放してしまったのだ。血の気が引いていくのが分かる。目がかすみ、頭がぼんやりしてきた。気を失ってしまいそうだった。
「くっ」
近くにあった石をつかみ、乱暴に投げつける。その石はハンニャの胸部にあたり、ハンニャが一度下を向く。その隙に恵は走り出した。逃げなければ!コイツから・・・。出来るだけ遠くに。走るんだ、頑張れ、私の足!
「・・・え?」
視界がにわかに暗くなる。太陽の光を雲が遮断したのか?・・・いや、そうではなかった。ザザザ、という半ばすべるようにして急停止する、異形の物体。それは間違いなくさっきまで目の前にいたハンニャだ。私は全力で走った。しかしこのハンニャはその走っている私を飛び越え、いきなり目の前に現われたのだ。
「チガ・・・ウ?チガウチガウチガウ・・・チガウぅぅぅぅ!」
ゆっくりとハンニャが振り返ったかと思うと、左手に持ったナイフが突き出される。そのナイフを左側に回避する。ハンニャの持つナイフが右手をかすめ、鋭い痛みが走る。ハンニャを睨みつけようと、頭を動かした時だった。目の前が赤かくなった。かと思うとすぐに全身の力が抜けてきて、足が前にも増してガクガクと震え出した。たまらず、膝をつく。
「・・・?・・・・っ!」
声が出ない。ハンニャをちらりと見ると、そのハンニャの右手の包丁がヌラヌラと不気味に太陽の光を反射させていた。・・・紛れもなく、自分の血だ。両手を首元に持っていこうと手を動かそうとした時、思考が途切れた。ドサ、とじみに倒れる。首からはとめどない血が流れ出ていた。
「フヒヒヒ・・・ハハハ・・・グハ・・・グハハハハハ」
不気味に響き渡る笑い声。すでに肉隗と化した恵の横にしゃがみこむと、左手のナイフを恵の腹につきたてる。音もなくナイフが腹に吸い込まれ、じわりと白い制服を紅く染める。服ごと一気に腹を裂くと、ハンニャは顔を傷口にうずめ、臓器をむさぼった。ブチブチと筋のちぎれる音が小さく鳴るとともに、真っ赤な血が噴きだし、辺り一面が黒に近い赤に変色していく。しばらくして、ある程度の臓器を平らげるとおもむろに立ち上がり、北西に向けて、ハンニャはゆっくりと歩き出した。現在地はI―4の道路。目立つその道路を歩くハンニャの姿は、背を丸めてはいるが『ここにいるのが当たり前』とでも言いたげなほどにどこか堂々としており、やはり異様な空気を漂わせていた。両手に持つ、ナイフと包丁。ハンニャの面に開いている小さな目から除く『本物の眼』はせわしなく動き続け、新たな獲物を探し、真紅に染まった牙と牙との間から見える『本物の口』は不気味に微笑んでいたのだった。



矢口恵(女子12番)死亡【残り8人+6人】

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