第2部(中)







 病院の中は、意外としっかりしていた。外見は薄汚れていたが、本当は建てられたばかりらしく、コンクリートでがっちりと固められた空間に、わずかに木材の香りが残っていた。病院独特の匂いもないことからも、建てられてから間もないことを静に告げていた。病院の周りは比較的木が少なく、平野になっている。これならば屋上で見張っていれば敵が来てもすぐに発見し、対応できるだろう。徹たち三人は病院の入り口の自動ドアを足早にくぐり、荷物を置いて病院内を見回った。哲志は荷物の見張りも兼ねて、その場に残ることになった。いつもなら『俺が絵理さんと行くから徹はここで待っててくれ』とでも言っただろう。しかし、この病院の中に先客がいるかもしれない。もし、相手が銃を持っていたならば、マシンガン・・・「ワルサーMPL」を所持している徹のほうが圧倒的に戦力が上だ。そんなこんなで哲志が玄関前の、一階ロビーで待機することになった。特にコレといった家具のない、殺風景なロビー。あるのは少し大きめの、真っ黒なソファーが4つ。それが小さな四角い台を中央に、取り囲むようにして並んでいる。そのソファーとソファーの間に身をかがめ、外から見えない状態になっている哲志が徹と絵理に手を振りながら見送った。徹は一階はあとで三人で見回ることにして、二階から見回ることにした。絵理もそれに同意し、後に続く。ロビーから左へと進む。左手にカウンター、その奥にナースステーションらしきものが見える。ナースステーションのようなところにはガラスが張られていた。電気がついていないので日中でなければ、とてもじゃないが見えない。幾つもの小さな棚や、10個ほどの小さなボタンなどが覗いていた。・・・やはり、ナースステーションだ。右手、つまり、カウンターの正面にも一つ部屋があったが無視して先へ進む。二回へと続く階段が右手に見つかった。さらに奥に部屋があった。ナースステーションと向き合うようにして位置している。それにチラリと目をやると、うっすらと『レントゲン室』と書いてあった。
「徹クン、先に進もう・・・」
小さくつぶやきながら徹の左腕にしがみつく。日中とはいえ、無人の病院は怖い。まぁ、もっとも、無人なのかどうかを今確かめているわけだが。徹は無言で階段を上った。13、4段上ったところで折り返しになっており、そこからまた14段ほど上ることになっていた。階段を上りきると、正面の部屋のプレートが目に入ってきた。ゆっくりと、足音を立てないように進む。長い廊下をチラっと見て、徹はうんざりした。意外と部屋が多かったからである。
「部屋・・・多いね」
「・・・行くしかないんだよなぁ。はぁ・・・じゃ、一つ目の部屋・・・行くぞ」
正面の部屋の前に立つ。プレートには『201号室』と書いていた。ドアはスライドするドアではなく、開き戸だった。右手に持っていたワルサーMPLについているヒモを肩にぶら下げ、右手をドアノブにかけ、ゆっくりと回す。鍵はかかっていなかった。音もなくドアが開く。そこには4台のベッドが規則的に並び、真新しいシーツがしかれたままになっていた。ここの病院の人の計らいなのだろうか?
「誰もいないみたいだけど・・・」
絵理が徹の左手にしがみついたまま言った。
「・・・次の部屋に行ってみようか」
ドアを閉めて、廊下に向き直る。両サイドに部屋があるため、廊下はほの暗かった。次のドアの正面に移動する。プレートには202号室と書いていた。ドアを開けると、201号室と同じようなベッドの配置、同じ色のカーテンがあった。この部屋には窓があり、日が差し込んでいて明るかった。特に変わったところはない。
「次・・・行こう」
203号室。この部屋も201号室と同じ間取りだ。この部屋には、201号室と同じように窓がなかった。
「何で・・・何で窓・・・ないんだろうね?人も太陽の光がなきゃ生きていけないから窓とかあるはずなんだけど・・・」
「・・・俺も思った。紫外線とかあるけど、やっぱ太陽の光ってのは必要だよな?」
「よっぽど重傷な人が入院したんだろうね」
徹は『いや、違う。』と否定しようと思ったが、口にするのはやめた。重傷な人ならば、本土の病院へ行くのが筋というものだ。この病院には、骨折とか、盲腸とか・・・そういう軽い怪我や病気の人が入院するんだと思う。
「考えても仕方ないし・・・次、行こうか」
徹が言うと、絵理も小さくうなずき、左腕にしがみついたまま次の部屋の前へと移動する。
「え・・・え!?なんで!!?」
不意に絵理の動きが止まり、左手で口を覆っている。目は大きく見開かれ、目の前のプレートを見つめていた。・・・プレートには『204号室』と書いていた。
「・・・?・・・あ!!」
徹は、絵理がなぜ驚いているのか気づかなかったが、プレートを見ているうちに気がついた。普通、『204号室』は存在しないのだ。『4』・・・『死』という関係から。
「204号室・・・」
徹の意思とは無関係に口をついて出た。ほの暗い廊下であるが、204号室の部屋だけが他のドアと違い、古いドアであるとわかった。木造製のドア。ドアノブも錆びついて本来銀色のはずなのが茶色に変色している。右手をドアノブにかける。左腕をつかんでいた絵理の手にも力が入っていた。
ギギ・・・ギギギ・・・
ドアノブは回らなかった。錆びついていたからだろうか?不気味な軋む音だけが二人の耳に残った。
「徹クン、あとで哲史クンと一緒に来ようよ・・・なんだか・・・嫌な感じ・・・」
それは徹もドアの前に立ったときから感じていた。『204号室』という名前であるから、というのもあるが、異様なまでの威圧感が漂っていたからだ。・・・あのハンニャと対面したときのような。
「・・・次の部屋に行こう」
半ば無理矢理に進む。隣りの部屋には205号室と書いていた。なぜか安堵し、溜息がもれた。ドアを開くと今まで見てきた部屋と同じ間取りで、ベッドが4つ並んでいた。その見慣れた光景が、ひどく二人を安心させる。窓はなかった。二人は無言のまま206号室の前へ移動し、ドアノブをひねる。そこには4つのベッドが同じように並んでいた。しかし、今までの部屋とは違った。
「動かないで!!」
黒くて細い美しい髪をショートカットにし、ほっそりとした足を肩幅まで開き、銃を両手で持ち、徹を睨みつけている。渡橋瑠美(女子15番)だ。
「ルー子!私!絵理だよ!」
絵理が徹の左腕にしがみついているのを見た瑠美の表情が一瞬緩んだ気がした。
「絵理ちゃん・・・」
ゆっくりと銃を下げながら瑠美がつぶやく。絵理がしがみついていた徹の腕を投げ出し、瑠美に抱きついた。瑠美の目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちるのが見えた。
「怖かった・・・怖かったよぉ・・・」
ひたすら絵理の胸で泣いている瑠美を、徹はただ、呆然と眺めていた。

「よぉ〜っし。できたぁ〜」
定規できれいに引かれた線に、青いペンでそれぞれの部屋の名前が書かれている。瑠美の持ってきた荷物に入っていた文房具を使って、床の上で哲史がなにやら書いている。
「へぇ〜、哲史君って字うまいんだぁ〜」
感心したように瑠美が言った。徹たちよりも先に来ていた瑠美にそれぞれの部屋を教えてもらい、簡単な病院の地図を作った。作るほど広くはないが、誰か仲間になってくれるクラスメイトが来た時に案内しやすい。一階は、玄関の右手に無駄に大きく作られた男女それぞれのトイレ、その奥にオペ室。カウンターの正面には診察室、ナースステーションの正面にはレントゲン室がある。二階には、1〜10の病室がある。ただ、209号室はなかった。204号室は瑠美も調べていないということだった。201〜206号室はベッドが4つ、207,208号室にはベッドが2つずつあって、窓もあり、210号室はベッドが1つだけで、窓もあったそうだ。現在地は瑠美がいた206号室。ベッドが4つあったこと、一番奥であったことからこの部屋に決めた。
「3年も一緒のクラスだったのに字知らなかったのぉ!?あー・・・なんかショックー」
「アハハハ、ゴメンネ。私、あんまり男子と関わり持ってなかったから・・・」
瑠美が笑いながら謝る。
「さっきまで泣いてたのに・・・」
徹がボソっとつぶやいた。徹の横に立っていた絵理が徹の腹にヒジ打ちを入れる。
「うぐ・・・」
徹が小さくうめく。
「そういうことは言っちゃダメなの!」
絵理が徹を睨みながらささやいた。そんなやり取りは哲史と瑠美には気にもかからず、二人でケラケラと笑っている。
「意外と合ってるかもね、あの二人」
絵理が小さく笑っている。
「そだな」
徹もそれに賛成して苦笑した。無神経。こんな状況なのに満面の笑みを浮かべながら笑っている二人。そんな様子を見れば『無神経だ』と思う人もいるかもしれない。しかし、緊張したこの空気を和ませているのは紛れもない、あの二人だ。
『・・・こうやって見ると・・・絵理さんも、瑠美さんも結構かわいいよな・・・』
二人の顔をチラチラ見ながら徹は思った。・・・知らなかった。こんなにかわいい女子が同じクラスにいたことを。ふと、絵理と目があった。絵理がニコっと微笑む。
「さっきヒジ打ち入れたくせに・・・」
絵理から目をそらしてつぶやいた。みぞおちに鋭い痛みが走る。
「うげ・・・」
絵理が目を閉じて徹にヒジ打ちを入れていた。何か文句を言おうと思った時だった。軽快な音楽が大音量で聞こえてきた。
『お昼ですよぉ〜、みんな元気にヤってるかぁ〜?』
聞いたことのない声。笑っていた哲史と瑠美に視線を落とすと、二人とも真剣な顔つきになっていた。
『あ〜〜、はじめましてぇ、ロードです。ヨロシク〜。えぇ〜っと、あのな、オマエらのバスガイドやってた、江崎歩美はぁ、オマエたちを逃がそうとしていたから俺が殺しときましたぁ〜。だから遠慮なくヤっていいぞぉ〜』
徹はこの時、バスガイドの名前を知らないことに気づいた。あの人は俺たちを逃がそうとしていた?俺はあの人を殺そうと・・・
『あぁ〜、死んだ人の名前言うぞぉ〜、男子4番川藤信二君、女子3番関綾子さん、男子13番根津達志くん、以上3人だぁ〜。ちょぉ〜〜っとペース遅すぎだぞぉ!こんなんで大丈夫かぁ〜?』
「信二・・・死んじまったのか・・・」
目を伏せながら徹がつぶやいた。仕方のないこと、といえば確かにそうなのかもしれない。だが、納得がいかなかった。そんな徹の気を察したのか、絵理が徹の肩にポン、と手を置いた。
『・・・ってことでなぁ、今回は特別ルールでぇ〜す。新たに5人メンバーを補充しまぁ〜す。んじゃ、紹介するぞぉ〜、橋本秀也(はしもと とうや)君、日野賢吾(ひの けんご)君、緋村雪人(ひむら ゆきと)君、辻真奈美(つじ まなみ)さん、佐紀聡奈(さき そうな)さんだぁ〜。・・・みんな名前ぐらい聞いたことあるだろぉ〜?しばらく新聞にも載ってたもんなぁ〜。そう、彼らは少年犯罪組織「カタストロフィ」と呼ばれるやつらだぁ〜。殺しは慣れてるからなぁ〜、気をつけろよぉ〜。あ、そうそう。人数途中でふえて大変かもしれないから、期間は無制限にするからなぁ〜。3日もかからないと思うけどさぁ』
よくしゃべる男だな、と徹は思った。
『それじゃ、次の禁止エリア言うぞぉ〜、1時にI―11、3時にG―2、5時にC―9だぁ。期間が長くなったからちょっと少なめにしときましたぁ〜。みんな頑張るんだぞぉ〜。それじゃぁ〜なぁ〜』
しばしの沈黙。沈黙をやぶったのは哲史だった。
「5人の追加メンバーか・・・ちょっと厄介かな?」
「・・・あぁ。かなりな。」
徹が相槌をうつ。「カタストロフィ」・・・少年犯罪組織。構成員はたった5人だが、死傷者は軽く100人を超えている。そんなやつらが、このルールというルールのないゲームに参加したらどうなるのだろう?結果は目に見えている。
「まぁ〜・・・それは置いといて、屋上行ってみねぇ?やっぱ気になるし」
そういえば、そうだ。まだ屋上は誰も調べていない。
「よし・・・じゃ、行くぞ、哲史」
「え!?俺行くの!?徹一人で行って来いよぉ!俺は三人でここにいるからさぁ〜」
そう言いながらチラチラと絵理と瑠美を見た。
「私・・・積極的で、勇気のある人って好きなのよねぇ〜」
誰に言うともなく瑠美が言った。チラっと瑠美が絵理を見る。
「!・・・だよねぇ〜。やぁ〜っぱ行動力のある人っていいよねぇ〜。」
絵理が瑠美の意図に気づいて相槌をうった。哲史は腰にさしていたワルサーP38を抜いて右手でグリップを握り締め、勢いよく立ち上がり、ドアを開けて廊下へ出た。廊下から大きな、偉そうな声が聞こえてきた。
「何してんだ徹〜!置いていくぞぉ〜!」

「うわ・・・曇ってるよ!さっきまで晴れてたのに・・・なぁ〜んか気分わりぃ〜」
空を見上げて哲史が言った。屋上へとつながっている階段は細く、1人なら楽だが、2人だとぎりぎり通れるくらいのスペースだった。階段の一番上には鉄でできたドアがあり、鍵はかかっていなかった。
「お!これはぁ!!」
哲史が前方にある四角い物体を発見し、近づいて行く。その四角い物体には『非常用設備』と書かれていた。ビニール製のカバーでわからないが、ハシゴのようなものが折りたたまれているようだ。
「んー・・・なんだあれは・・・、あ、浄水してんのか。ん?あっちには・・・」
物珍しそうに哲史が物色している。リハビリをするために設置された鉄製の取っ手のようなものの先に、浄水しているのであろうタンクが小さな音をたてている。電気が供給されていることは確かなのだと思った。その向こう側に金網があり、その金網を哲史がよじ登っている。徹は病院の周りに誰もいないかを見回しながら哲史を追った。
「待て!待てって哲史!」
徹も金網をよじ登り、飛び降りる。その先には、コンクリートで固められたこの屋上には不似合いで、とてつもなく古い、一見大きな犬小屋にも見えなくもない霊屋(たまや)のようなものがあった。
「徹・・・なんか・・・嫌な感じ・・・」
ついさっきまで明るかった哲史の顔がいささか青ざめている。
「このプレッシャー・・・どこかで・・・」
異様な空気を発している霊屋らしきものを見ながら、徹は顔をしかめた。
「そうだ!204号室!!あの部屋の前もこんな感じだ・・・」
はっと思い出してつぶやく。何の前触れもなく、哲史が動いた。徹も後に続く。
「地蔵か・・・全部で5体・・・え?」
2メートルほどまで近づいたとき、玉屋の中が見えてきた。確かに、地蔵らしきものが5体ならんでいる。目を凝らして見ると、その異様さに徹も気がついた。左から三つまでは普通の地蔵。4番目の地蔵は少し離れており、上半身と呼べるべきところがなかった。その割れ目とも切れ目ともつかぬ場所から血のように真っ赤にそまっている。そして5番目の地蔵には、首がなかった。
「なんだってこんな地蔵が残ってんだ?しかも右の2体は壊れて・・・」
霊屋の正面には来たが、2メートルほど距離をおいた。二人でいても、近づきたくないほどに禍々しい空気が漂っているのだ。
「中央に箱があるな・・・」
徹が言った。3番目の地蔵と4番目の地蔵の間に、古い木でできたような箱がある。中心には鍵の差込口のようなものがついている。
「気になる・・・けど、俺は近づきたくねぇぞ」
哲史が本当に嫌そうな顔で徹を見た。
「お・・・俺だって!うわ!」
徹が軽く後に飛び、身構える。地蔵から目を離し、哲史に視線を変えようとしたときだった。わずかに三番目の地蔵の表情が変わったような気がした。ニタっと、笑ったような気がしたのだ。
「な・・・なんだよ・・・アレ・・・」
徹がつぶやいた。額には汗がうかんでいる。哲史も不思議そうな顔のまま地蔵に視線を向けた。
「・・・?徹、どうかしたのか?」
「哲史・・・普通地蔵ってのは、みんな同じ表情だよな?」
それで哲史は徹が何を言いたいのかに気がついた。再び地蔵を見やる。
「な・・・地蔵一人一人の表情が違う・・・」
哲史がうめくように言った。一番左は無表情、二番目は白目をむき、口をへの字に曲げて苦悶の表情をうかべ、三番目は三日月のように目を細め、ニタっと笑っている。
「一旦部屋に戻ろう。見たところ誰も来てないようだけど、ちょっと気になるし・・・」
「そ・・・そうだな。戻ろうぜ」
哲史が小さくうなずいた。額から鼻の横の辺りに汗が伝っていた。二人はほぼ同時に走り出し、勢いよく金網を越えて階段へと急いだ。二人とも息が荒く、顔は青ざめ恐怖に満ちていた。


【残り26人+5人】

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